猫の恋やむとき閨の朧月

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優しさとは

 

ねこなべです。

 

自分はよく「ねこなべさんって優しいですよね」と言われる。自慢とかではない。なぜかそう言われるのだ。僕は他人から言われる「優しい人ですよね」という言葉に12年以上苦しめられている(僕は現在24歳)

 

そもそも

僕は優しくなんかない

 

なぜこのように言われるのか、悩んできた12年間をザックリ振り返ってみた。そこでなんとなくわかったのは「なよなよした自分が弱そうに見える。ゆえに怒ることはないだろう」ということだった。

 

いや、おそらくほかの理由があるのかもしれないが、客観的な視点を取り入れないことには解決しなさそうだ。

 

「優しい人だ」というイメージは、僕の人格を変えてしまうほどだった。

例えば「普段やらなさそうな悪事を働くと『そんなことする人だと思わなかった』」と言われることがある。

その人が自分に対して抱く「優しい人」というイメージが壊れると、すぐそんなことを言うのだ。

 

「そんな人だとは思わなかった」という思いをさせてしまったのなら、申し訳ない。

 

しかし、その一言は思春期の僕を悩ませる要因であり、当時も今もこの言葉には悩むこともあるし、傷つくこともある。その結果、自分が導き出した答えは、自分は優しい人だというイメージを壊してはいけないということだった。

そうすれば、他人を傷つけることもないし、自分が傷つくこともないという結論に至ったのだ。

 

しかし、この生き方には大きな欠点があった。それは「自分が優しい人間だからこんなひどいことをするはずがない『誰かの指示でやったのだろう。もしくは他に悪い人がいるから心配しないでね』と、「あなたは悪くないんだと」擁護する声が多かったことだ。あなたのせいじゃないという声に守られながら長いこと生きてきた僕は辛かった。本当は自分が悪いのに、優しい人であるというイメージを守り続けたことで、自分は怒られたり、非難されることはなかった。そのせいでほかの人を悪者扱いにさせている自分が「一番の悪だ」と思うようになったのだ。

 

自分にとって「優しさ」とは苦痛であり、誰かに優しくしたという実感はあまりなかった。それでも優しい人だよと言ってくれる人の言葉は、本当にありがたい。本当に。

だけどそれは自分にとって、自分が自分を否定する時間を与えてしまうということになるのだ。

 

このほかにも自分が思春期に見て、感じたものは今の自分の人格を変えてしまういろんな要因が混ざり、自分は人に極力迷惑をかけないような生き方を心がけるように生きている。ゆえに、人への関心や興味というものを失ってしまったのだった。

 

今も人から良いように思われるような生き方という根本が変わってない。だけど、これは逃げていることになっているのは自分がよくわかっていることだ。

僕は優しいんじゃない、気が利くだけの人間なんだと。

 

優しさってなんなんだろうな。

僕は本当の優しい人になりたい。

それが、生涯の目標だ。

 

ではでは、ねこでした。

 

 

文責  ねこなべ