猫の恋やむとき閨の朧月

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「何をしてもうまくいかない」と思っていた理由

こんにちは。

せっかくの有給休みなのに生憎の雨天。2度寝して、行きつけのお店ゟ記事を認め候処に相成ります。

 

本日のお供はグアテマラ・フロール・デル・ロザリオというコーヒー

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味の印象はチョコレートそのもの。Bean to Barのチョコレートとのペアリングもバッチリ美味しい。すばらしい。

 

 

目線の方向性

この1年間悩みに悩み抜く中で一番「人生が上手くいかない」と思わせていた原因だった芽に気づきました。それは「子供の目線」です。

数ヶ月前までの自分はまだ親離れできておらず、自立した生き方というのがなんなのかわかっていなかったのです。

 

何をするにも「どうやって〇〇してもらうか」という”してもらう”という認識が、そうあることに疑問を抱かないレベルで当たり前でした。

小学生のときからずーっと自分はなんか周りよりも子供に思えてしまっていて、高校生になっても、大学生になっても、その意識が消えることはなかったし、理由がなんなのかもわかりませんでした。

大学に入ってからは”武装”というものを覚えてしまい、先輩ばかりと仲良くしたり、異端児気取ってみたりして、肩書きでその意識を武装して虚勢張っていました。

 

結局のところ”かまってちゃん”だったのです。

誰かに何かをしてもらうことしか知らなくて、「どうやって自分のしてほしいことしてもらうか」というそれしか考えられない子供だったんです。

恋愛も就活も友達関係も「自分がどう貢献するか?」「相手のために何が与えられるか?」なんてことは考えてもいなかった。全て「してもらうこと」「自分が守ってもらうこと」で完結していました。

 

子供のままだった原因

なんでこの歳になるまで子供から卒業できなかったのかと考えると、偏に”家庭環境”にあるんだろうと思いました。

普通は幼稚園、小学生、中学生、高校生と少しずつ自立して大人になっていくのが普通の人生なんだと思うのですが、私は一切そこが成長することはありませんでした。

 

そもそも両親共々がまだ精神的に自立できていないというのが一番大きいかもしれません。

子供が”自分たちの所有物”が如く過干渉なのです。「子供が社会的にまともな存在であること」が自分たち最大のアイデンティティなのです。未だに。

 

自分たちの思うような成績、人格、行動、生活、交友関係、好み・・・でないと落ち着かないらしいのです。子供が自立されたら困るから選択権を与えられず育ってきました。だから”所有物”として育った私たち兄妹は「してもらう」というそれ以外の生き方は知らないのです。だから私は友達を自分で作ることもできないし、恋愛なんて以ての外だし、仕事もできないのです。

 

私と妹はまるで真逆な人生を生きているのですが、共通点を探していくとその視点を持っているという点では一致していて、表出の仕方が各々違っただけなんだと気づきました。趣味趣向は真逆でも向いてる方角は2人とも一緒で、「いかにして”してもらうか”」だけです。

 

私はそれが過剰な自立志向と歴史の知識習得という形で表出しました。そうしていれば周囲から構ってもらえるとどこかの過程で知ってしまったのです。

妹は早い段階で親の要求に応えられなくなったため親がしてくれない承認を友達に求めました。友達や恋人が認めてくれる行動(たとえそれが非行でも)をすることでしか生きていけない状態です。

 

そんな私たちは2人とも社会人になれていない。

その現実の理由はどう考えても「育ち」に求めるしかないのです。

 

失恋で知った自分の前提の壊し方

本気で惚れた相手に出会っても、私には”愛す”という概念が存在しませんでした。

「してもらう」それしか思考が存在しなかったので当然の如く上手くいきません。

 

どんだけ「してもらおう」と努力しても、「相手の求める人間になる」という概念が存在しないためやればやるほど”ダメな自分”が露呈するのです。

「してほしい」「してほしい」「してほしい」この1年を振り返ってもそればっかりでした。いろんな本を読む中で少しずつそのことに気づいてきました。

 

生き方を変えるために自分がやってきたことは次の通り

①自分の生き方の前提が「子供である」と気づくことがまず第一段階(とにかく悩み切る)

②大人な前提はどんな在り方なのかを知るためにも普段会わない世界の人に会って、「自分と見ている方角がどう違うのか」を分析するのが第二段階(就活でいろんな会社へ行ってみる)

③「好きな人を幸せにできる男になりたい」という意識を常に持って生きる。(とにかく動く動く動く)

 

最後に

今までの人生を振り返って本当にクソだったと思う。

前提にある生き方が子供のまま色々と武装していたから頑張りが全て裏目に出ていた。だけど、それでもここまで生きてこれたというのは自信にしていいと思うし、見る方向が変わった今、この先の人生がどう変わっていくのかが楽しみでもあります。

 

 自分が「何をしてもらえるか」よりも「何をできるか」を大切にして成長したい。必死に生きて誰かを守れる存在になったとき自然と隣にその人がいたら、それは一番幸せだなと思うのです。

 

少なくとも今の自分は驚異的に無力です。死ぬほど悔しいですが、企業にしても好きな人にしても求められているスペックさえ提供できません。そんな自分から目を背けたまま武装しても欲しいものは手に入らないのでしょうし、まずはそこを目指して地道に努力する段階から始めていこうと思います。

 

人を想う気持ちはプラスに働くものなんだなってここまで生きてきて初めて知りました。ずっとネガティブで、停滞して、何も成長できなかったのはそもそもの在り方が子供だったから。今は無駄な時間を過ごしてしまったと思うし、生き方を後悔しているけれど全てをプラスに転換して「あの時は無駄じゃなかった」と言えるように生きたいです。今、おもしろいくらいに逆境しかないですね。

 

ここで立ち止まっていたくないですねーーー