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『霞の天地』をご存知ですか?

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『二本松少年隊物語 霞の天地』東雲さくら(2013年9月)

 

感想の前に基礎知識を提供

戊辰戦争(ぼしんせんそう)をご存知でしょうか?

1868年1月、鳥羽伏見の戦いに始まる旧幕府と新政府の内戦の総称です。

それ以降、東日本を中心に各地で内戦が繰り広げられるのですが

その中で特に激戦地となったのが新潟と東北です。

 

東北と新潟の諸藩は奥羽越列藩同盟を組み、江戸陥落後も新政府に徹底抗戦をするのです。東北での戊辰戦争は改元後の明治元年となってもなお継続し、その前半戦は列藩同盟の盟主である会津藩(保科松平家)、庄内藩(酒井家)、仙台藩(伊達家)を陥落させるべく激戦が繰り広げられる訳です。

 

特に有名なのは会津白虎隊だと思うのですが、本作品もそことかなり近い史実。

現福島県に存在した二本松藩丹羽家10万石は会津に次ぐ順盟主的な藩。外様大名でありながらも旧幕府に忠誠を誓う藩でして、白河城攻防戦や郡山の戦いなど藩の主力を各地での戦いに派遣した結果城下の兵力が不足する事態に陥りました。

 

そんな中、隣に位置する三春藩が早々に寝返り海側がから来た新政府軍が二本松城下へ攻め込んで来てしまいます。主力が出払って無防備になっていた結果の子供から老人まで駆り出された城下防衛戦、その悲劇が描かれた漫画です。

 

感想

『霞の天地』、私にとってはかなりその後の人生選択を変えた1冊です。

元々歴史は好きで戦国大名とか藤原摂関家とか色々と調べている変な子供だったんです。そんな時に小学校の図書館で、『霞の天地』に出会いました。あれはたぶん2001、2年とかその辺だったと思います。

 

二本松市内限定100冊とかで発売された同人誌だったと記憶しているのですが、江戸時代に微塵も興味がなかった私を”江戸”へ引き込んだきっかけはこの本だったかなと今考えるとそう思うんですよね。

 

二本松少年隊って私の地元である旧二本松市域(合併前の二本松市)では知らない人がいないくらい超有名な歴史なのに、なぜか1歩外へ出ると誰も知らない不思議な歴史です。たぶんこの記事にたどり着いた歴史好きの人でも知らない人の方が圧倒的に多いことでしょう。

 

①地元に根ざす歴史

さっそくですが脱線させてもらいます。

私が伝えたいのは「みなさん自分の故郷の歴史知ってますか?」ってことなんです。

住んでると当たり前すぎて興味なんて湧かないと思うんです。(昔の私がそうだったので)

 

当たり前にお城の石垣があって、当たり前に江戸時代のままの土地区分があって、当たり前に江戸から変わらぬ町や祭りがあって・・・

 

東京へ出てきて、江戸を専門に研究する立場になるとさらに思いました。

自分の地元である二本松って江戸時代からのすごく由緒深い歴史が根付いてるのに文献にも本にも全然出てこないんだなーと。

 

そうやって歴史はどんどん薄れていくのでしょう。

会津や二本松は「歴史が誇り!」みたな風潮が未だにすごく強い街なので学校教育の段階から郷土史教育の熱がすごいんですけど、他だとそうでもないっぽいですね。

 

②白虎隊だけじゃない

少年兵士として会津戦争に駆り出され、飯盛山での白虎隊総自刃の悲劇は教科書に載るくらい有名な出来事として知られていますが、二本松少年隊もなかなかの悲劇だと思います。

 

木村銃太郎という江戸で砲術を学んだ師の元に藩士の子供達が集まり、興味津々に武術や兵術、砲術を学んでいたのですが

藩の一大事に子供たちは進んで出兵に志願します。もちろん年齢を偽ったりして。

 

初戦は大壇口の戦いから始まります。

大壇口は今は崖の下を東北本線、国道4号線が走る高台にある場所で、城下町南の要衝です。彼ら少年兵士はここを守ることとなるのですが、いきなり木村隊長が被弾し戦死。

 

二階堂副長が先導して大壇口から城下へと避難するのですが、途中味方に成りすました新政府軍に遭遇しここでも副長含め数人が戦死。子供と気づいた新政府軍は銃撃をやめて生き延びた少年たちを逃すのですが、皆散り散りになってしまいます。

 

その後は各々が戦死するまでのエピソードが繰り広げられていいくのですが、実家に帰ろうとして戦死する者、新政府軍に1人で挑み戦死する者、隠れていた所に運悪く大砲が落ちて戦死する者・・・

 

一方、二本松城内では藩主丹羽長国の脱出。

家老・城代の自刃と戦死。

二本松の戦いは圧倒的敗北に終わりを迎えます。

 

③会津戦争へ

二本松陥落後、主戦場は宇都宮や新潟から合流して来た新政府軍による会津での戦争へ移ります。

少年隊の中にも会津へ逃れる子供もいましたが、途中の野戦病院で戦死。

 

各方面から攻め込まれる形となった会津でも兵力不足は深刻で

青龍隊、朱雀隊という主力部隊へ加えて、少年の白虎隊、老人たちの玄武隊が組織され会津城下各地での戦いを行うこととなります。

 

もちろん結果は敗北。大砲を打ち込まれズタボロになった会津若松城の姿がいかに激しい戦争だったかを物語っています。

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注:会津戦争 - Wikipedia より引用

 

まとめ

二本松少年隊 - Wikipedia

二本松少年隊の存在は大正時代になるまでその存在は明らかにされていませんでした。

戦没者五十回忌に、少年隊の生き残りである水野進によって公開された「二本松戊辰少年隊記」でその存在が世に知られました。

 

公開から100年、この街に生まれ育った私としては地元の研究もしてみたかったのですが、戦争による被害は現代の研究にも影響を及ぼしていて、街が全て焼かれてしまったことで町方の史料はほぼ現存していませんし、江戸時代の建物ももちろん残っていません。

 

二本松藩の史料としては、各村に残る村方文書

藩主丹羽家で所有していた丹羽家文書、各代官文書、本宮宿文書、郡山宿今泉家文書あたりがあるので頑張って収集すれば研究は可能でしょう。(本格的に探したことないからもっとあるかもしれない)それこそ戊辰戦争のことはどの史料から探せばいいのか検討がつきません。(たぶん官軍側の史料とか?)

 

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あと江戸藩邸史料とかも聞いたことないのでどっかにあるのかなー?

※写真左手が旧二本松藩上屋敷跡(現・衆議院第二議員会館)、坂を下ると山王日枝神社@永田町

 

余談が過ぎましたが

ぜひ、興味を持った方がいましたら私までご一報ください!!

二本松少年隊物語 霞の天地

二本松少年隊物語 霞の天地