『国際市場で逢いましょう』2014年
釜山にある国際市場を舞台にした作品。
huluでたまたま見つけて観たのですが、日本でいうなら「昭和を感じる」懐かしさがある作品だったので紹介してみようと思います。
朝鮮戦争の悲劇
1950年、日本統治終了後の朝鮮半島を舞台に火蓋を切られた朝鮮戦争。
現・北朝鮮の咸鏡南道(ハムギョンナムド)の咸南地区からの国連軍撤退作戦からこの物語は始まります。
朝鮮戦争による戦死者数は400万人にも及び、家族の南北離散を始め現代へも続く数多の社会問題を生み出した戦争です。
咸鏡南道は1950年末時点では韓国・国連軍の支配下となり、朝鮮半島の大部分が韓国になった時期でした。しかし、1951年になると中国軍の参戦により戦局は一変して北朝鮮軍の反撃が始まります。本作品でも中国軍による攻撃で北朝鮮支配となった咸南地区から撤退する国連軍と、命からがらアメリカ軍の船へ乗り込み韓国へ逃げる住民たちの姿が描かれています。
釜山・国際市場という舞台
なんとなく『Always三丁目の夕日』を忍ばせる設定ですが、釜山の国際市場は屋台などが集まる観光地にもなっている場所。主人公"ユン・ドクス(演:ファン・ジョンミン)"の店は朝鮮戦争の時からずっとここで店を構えてきました。時代も変わり立ち退きを強いられますが、頑なに店を手放さないドクス。国際市場を中心に繰り広げられた彼の人生を忍ばせます。
時代を遡り1951年、故郷を追われ、父親と末の妹ともバラバラになったドクス一家は叔母の店がある釜山・国際市場へと辿り着きます。
釜山での生活は常に貧困状態でしたが、父親からの「お前が家長になるんだ。家長はどんな時でも家族が優先だ。」という言葉を守り、家族の為に子供時代から必死に働くドクスの姿が印象的です。
ドイツへの出稼ぎ
成長したドクスは弟が北京大学に合格したこともあり、ドイツの鉱山へ出稼ぎを決意します。体力試験と面接に合格し、無事(?)ドイツへ行くことになるのですが、鉱石採掘の仕事内容はかなり劣悪なものでした。
日々、鉱山で命がけの仕事をする中で鉱山爆発事故に巻き込まれるなど、命の危機にも幾度となく晒されますが、ドイツでは妻となる看護学生の"ヨンジャ(演:キム・ユンジン)"と出会います。そして、パーティーやデートを重ねて、順調に仲を深めていきます。
結婚とベトナム戦争
ドイツから帰国したドクスは、少し遅れて帰国したヨンジャと妊娠をキッカケに結婚。
一家の住む家もドクスがドイツに出稼ぎしたおかげで立派なものになります。
しかし、妹は自分の結婚式資金も賄えない家への不満があり、たまたまそれを耳にしたドクスは彼女の結婚式資金を稼ぐためにも戦争下にあるベトナムへも出稼ぎへ向かいます。
ベトナムでは到着早々に爆発テロに巻き込まれたり、敵軍に銃撃されたりと、ここでも幾度となく命の危機に晒されます。ここでは韓国軍と共にベトコンから逃げる最中、足に被弾し負傷してしまいます。
妹との再会
ベトナムから帰国後、叔母から引き継いだ店もリニューアルし、妹も無事結婚式を挙げ、順風満帆な生活を送り始めます。
そんな中、韓国では朝鮮戦争で消息不明になった家族を探すテレビ番組が始まり、ドクスは父親と末の妹を探すためソウルへと向かいます。
朝鮮戦争から30年、サンフランシスコに住む末の妹・マクスンと再会を果たします。
マクスン自身は物心付く前にアメリカへ里子に出されたため、韓国での名前も覚えておらず、韓国語も話せない状態。それでも兄・ドクスから逃げながら繰り返し伝えられていた言葉「これは遊びに行くんじゃないぞ」だけは覚えており、身体的特徴(ほくろ)に加えその言葉がキッカケとなり兄妹と判明する。
激動の現代韓国史の中で、時代の荒波を生きた主人公とその家族の様相がとてもよく伝わる良い映画でした。
感想
釜山の急速な経済成長
『国際市場で逢いましょう』を観ていて一番目を惹かれたのは何と言っても釜山の街の変化でしょう。
朝鮮戦争終了後はバラックや簡素な韓屋が立ち並び、住民もみすぼらしい装いだったり、孤児(?)とかもたくさんいる感じなんですけど、時代が進むごとにどんどん街としても発展していく様が伝わってきます。
特に現代の釜山と過去の釜山が重ねて描かれてるシーンがいくつかあるんですけど、そういうところで強くこれは感じました。
今ではソウルに次ぐ韓国第2の経済都市で、観光地としても人気の釜山。行ってみたいですね。
激動の韓国現代史
日本人の僕が韓国を身近に感じるようになったのは2002年の日韓W杯の頃からだったと記憶しています。その後、韓流ブームが到来して文化的にも身近な国として認識するようになりました。
だけど、それ以前の韓国ってあんまりイメージがない。
他国へ出稼ぎに出ていたり、ベトナム戦争に参戦していたり、離別した家族探しの番組があったりと知らないことだらけでした。
これからの未来を生きる私たち
日本でもそうだけど第二次世界大戦終戦後から現代社会を創り上げた世代は、時代変化的な意味で「激動の人生」なんだと思いました。体を張って、命懸けで築いてきた社会の上に私たちの世代は生きていることを感じさせられます。
私の祖父母も戦争や東京への出稼ぎを経験して両親を産み、共働きしながら必死に子供を育てた世代。これからの時代は真の意味で命懸けな時代ではないけれど、一生独身を決め込まない限り”家族”を築いて守っていくことは変わりません。
インターネットの登場で戦後経済成長とは違った形で劇的に社会変革が進む現代。
新しい常識や変化に適応していくのは大変だし、そこの中でお金を稼ぐ・家族を守るのはもっと大変。”仕事”そのものに”人間であることの意味”が問われていく時代。ライバルが機械やコンピュータになってきているからこそ、できる仕事は減っていく点では「命懸け」かなと思います。
私自身も今は命懸けで生き始めたところだったから、これからの人生を考える良いきっかけになったかなと感じました。